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第30話 ここにいてほしい

Author: 板野かな
last update publish date: 2026-09-24 18:00:57

 翌朝になっても、麗香の中で何かが変わったという実感はなかった。

 鏡に映る顔も、黒い髪も、香りを持たない身体も昨日までと何も変わらない。

 ただ、自分が誰の娘なのか分からなくなった。

 それだけで、足元にあったはずの地面が、音もなく消えてしまったようだった。

「お母様……」

 麗香は母の白磁の香炉を手に取った。

 淡い桜の枝が描かれた、小さな香炉。

 母が自分を愛してくれていたことだけは、疑わなくていい。

 けれど、考えてみれば。

 麗香は、母が桐生家へ来る以前のことをほとんど知らなかった。

 母の生家。

 幼い頃の話。

 どのように和馬かずまと出会い、妻となったのか。

 尋ねたことがなかったわけではない。

 けれど母はいつも、どこか寂しそうに笑って話を逸らした。

 そして和馬もまた、麗香へ母のことを語ったことなど、一度もなかった。

 ――私は、何も知らなかったの

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